あなたにとって大切な人は誰ですか?

夫(妻)、子供、親、兄弟、親友…と、たくさんの“大切な人”と

生活や時間を共有しながら日々を過ごしていますね。

そして、その“大切な人”と幸せな時をより長く過ごすために

“大切”なのが『愛情』と『信頼』です。

 ところがこの2つ、複雑で曖昧、強くもあり脆くもあるという

なんともやっかいな存在です。

そこで、愛情とは何か? 信頼を築くにはどうすればいいか?

一緒に考えてみましょう。

勘違いしやすい“親の愛”

 最近、増えていると感じるのが「子を思う親」からの相談です。

その多くは「うちの子、大丈夫でしょうか?」という内容。

 学生だけでなく社会人になってからも、朝は自分で起きられない、

食べる事、着る事すべて親頼り、出かける前には「忘れ物はない?」、

「〇〇は持ったの?」、「○○は大丈夫?」と細部に渡って確認します。

結果、「なにもできない子」になり、「うちの子、大丈夫かしら?」と

不安になります。

そして多くの親は、すべては“子を思う親の愛情”からしてきたことだと言います

 しかし、『愛情』と『干渉』は紙一重。

子供を守り、支えることも愛情があってのことですが、

自分が望む理想の子供であって欲しい、

さらには、素晴らしい子供に育て上げた立派な親だと

評価されたいという無意識の感情(欲求)に気づかないので

知らず知らずのうちにやり過ぎてしまい、やがて愛情という名の

“干渉”や“支配”に変化してしまいます。

 一方、子供は、干渉や支配をうっとしいと思いながらも、

「自分で選んで決める」という必要や責任が無くなるので、

すべてが親任せになります。

そして、いつのまにか親の愛に“依存”する自立できない大人に

なっていきます。

“信じられない!”夫婦の愛情

 ご夫婦に関するご相談の中でもっとも多いのが、

「夫(妻)が信用できない!」という内容のものです。

帰宅時間が遅いと「本当に仕事?」

電話に出なかったり、lineが既読にならないと「どこで、何してるの?」

別の部屋に移動して電話をしていると「誰? 怪しい!」……

あれほど好きで一緒になったはずなのに…

愛している相手を信じられないということはとても苦しいことです。

 人は、モノ事を“条件付き”でとらえるという癖があります。

いつもの時間に帰宅すれば、“仕事”だと信じられる

すぐに既読になれば、目の前で電話に出れば、“怪しくない”と安心する。

このように『○○だったら…』と、信用できる条件が

揃うことが先だと考えています。

 さらに、そこに“愛情”というちょっと扱いにくい感情が絡むと

信頼の条件はより一層厳しくなります。

人は本能的に“愛されたい”存在なので、“愛されている”という

実感が不可欠です。

 また、“愛情”の裏には“代償”がつきものです。

「愛は見返りを求めない」とは言いますが、なかなかそうはいきません。

「こんなに愛してるのに…」「こんなに思っているのに…」

自分が相手に注いだ愛情の強さと同じか、それ以上の愛情を

実感できる形で返してもらいたいという欲求が、

互いを苦しめていることに気づいていないのです。

これは、夫婦に限ったことではなく、親子の愛にも言えることです。

条件より“決める”ことが先!

 人の脳は、結論を優先するという癖があります。

信頼できる条件が整っていてもいなくても、

信じると“決める”ことが先です。思うのではなく“決める”のです。

条件を中心にモノ事をとらえていると、振り回されてしまいます。

いつもの時間に帰ってくれば安心、遅くなれば不安。

お金があれば幸せ、無くなれば不幸。

健康なときは幸せ、病気やケガをすれば不幸。

このように条件は状況に左右されてコロコロ変わるので、

感情もコロコロ変わり、疲れ果ててしまいます。

 また、“決める”ことは他者の力を借りなくても自分でできます。

誰かに決めてもらおうとすると、その誰かの都合で条件も変わり、

条件が整ったら決めるというのも、結局、条件に振り回されるので

悪循環です。

条件がどうあれ、決めればあとは脳が勝手に決めた方向に進めてくれます。

 そうは言っても、人はある意味弱い存在ですから、

一度決めても、再び心が揺れて信じられなくなったり、

不安になったりするものです。

そんなときは、“決め直せば良い”のです。

決め直しは何度でもOK!

“決める”と不思議と心が楽になりますよ。